魚藍坂 千年まへの穂すすき 高野公彦歌集を読む。

今回は、高野公彦歌集『水苑』の

薄やうの雲

の続きです。P.23の一首目。


魚藍坂 千年まへの穂すすきを照らして白き巻雲うかぶ

魚藍坂には、「ぎょらんざか」とかながふられています。

読んでいきます。
ぎょらんざか せんねんまへのほすすきをてらしてしろきまきぐも
うかぶ

作者は、すべての読者に理解してもらうことを前提として
作品をつくるわけではありません。それで、読者がよく知
らない言葉もでてきます。この一首の場合「魚藍坂」です。



短歌のなかの一語の意味を深く知らなくても、一首を鑑賞すること
はできます。が、その一語について、知識が増すと、作品をより深
く鑑賞できるようです。



WEBで調べてみると、
魚籃坂(ぎょらんざか)は、東京都港区三田四丁目と高輪一丁目の境
に存在する坂である。
と、あります。

魚籃坂下交差点から登り、頂上から伊皿子坂に至る(すなわち麻布側か
らの登りが魚籃坂、頂上から海側に降りる坂が伊皿子坂である)


坂の中腹に魚籃寺が存在することから付けられた。

魚籃寺は、寛永7年(1630)当地に移転。本尊の魚籃観音は中津から移
した像で、右手に魚の入った籃を持ち、左手に天衣を携える唐女の姿を
する。

という説明もありました。なお、

横溝正史の小説「病院坂の首縊りの家」の舞台がこの近辺に設定されて
いるということなんですね。


 魚藍坂下交差点では、海抜8メートルで、南に上って魚藍坂の頂点の

標高は、
海抜21メートル、頂点から伊皿小坂を下ると、泉岳寺があり、泉岳寺
前では海抜4メートルとなっているようです。だから

千年前の
長徳元年(995年)ころすなわち、藤原 道長の時代ですが、
たしかにここらへんは陸地ですすきが生えていたと思われます。





お天気豆知識

によると、巻き雲とは巻雲けんうんともいい、

 青空をバックに、色は白で縮れ毛のような、筋のような薄雲、引き伸ばした
真綿のような薄い雲の巻雲。巻雲は別名“すじ雲”とも言い、 巻雲は雲の
中で一番高いところに発生します。巻雲は空に広がっていても、太陽光を遮る

ことがないくらい薄い雲です。

 その形はいろいろで、例えば、髪の毛のような‘毛状巻雲’また、その他に
‘房状巻雲’‘かぎ状巻雲’、‘もつれ状巻雲’、‘放射状巻雲’などがある。


ということなんですね。薄やうの雲もあるいは、巻雲かもしれません。

この一首を作者が詠んだ平成七年の
千年前とは
長徳元年(995年)ころで、藤原 道長の時代です。

「千年まへの穂すすきを照らして」 で、
作者の意識は、道長の時代にとんでいるのではないでしょうか。