酔抜きの朝湯に 高野公彦歌集『水苑』を読む。

 今回は、高野公彦歌集『水苑』の薄やうの雲の続きです。
P.22の二首目。



酔抜きの朝湯にながく浸りゐて燠火のごとしわが心音は

読んでいきます。
よひぬきのあさゆにながくひたりゐておきびのごとしわがしんおんは

燠火は、熾火とも書きますが、燠と同じですが、最近は
家庭で燠を見ることも少なくなりました。庭で焼き肉とか
よくされる方は、別にして。

酔いがさめないので、あるいはさますために、朝風呂に
長く入っているが、心臓が熾火のような状態になっている
というのですが、

心臓、でなくてわが心音と言っているので、読み手がそれを
よりイメージしやすくなっているのですね。燠火のごとしも
なかなか言えない表現ですが、心音もうまいと思います。

熾火には、作者が前夜の余韻を楽しんでいることの暗示が
あるのではないでしょうか。

「薄やうの雲」は、まだ続きます。